学校紹介

ご挨拶

人才の養成より人物の養成
同志社小学校 校長
野田 遊
人才の養成より人物の養成。これは、同志社小学校が実践している新島襄の考え方に基づく教育です。知識の習得は教育の基本です。ただし、知識を運用する品行と精神の徳育があってはじめて社会のためになるという発想です。保身と前例踏襲に陥る人材(人才)ではなく、クリエイティブな発想で社会を担う人物の養成を重視しています。毎朝の礼拝やグローバルな交流、内なる声との対話を通じて、良心が涵養される教育を進めています。
本校の道草教育は、主体性を伸ばす場を数多く提供し、実行力、思考力、創造力、公共性といった非認知能力を存分に育んでいます。偏差値で競う認知能力は重要なものです。ところが、注目すべきは、実行力に代表される非認知能力が十分に備わると、認知能力そのものがいっそう向上することです。高学歴は、認知能力の訓練だけで手に入れられますが、実行力や創造力は小学生時代のリアリティ豊かな体験による脳の発達が不可欠です。社会で活躍する人たちは、実行力などの非認知能力に長けていることが多く、そうした人たちは小学生時代の経験が生きているわけです。なお、非認知能力の中には道徳や模範意識も含まれますので、道草教育は徳育にも通じるものです。
本校では、見せかけの偉さよりも社会を担う実力者の養成を念頭においた教育を進めています。「えらい人になるよりも、よい人間になりたいな」という校歌に含まれるメッセージは、そのことを問いかけています。今後とも本校の教育を経た卒業生が率先して豊かな社会をつくり上げていくことを期待しています。
人才の養成より人物の養成。これは、同志社小学校が実践している新島襄の考え方に基づく教育です。知識の習得は教育の基本です。ただし、知識を運用する品行と精神の徳育があってはじめて社会のためになるという発想です。保身と前例踏襲に陥る人材(人才)ではなく、クリエイティブな発想で社会を担う人物の養成を重視しています。毎朝の礼拝やグローバルな交流、内なる声との対話を通じて、良心が涵養される教育を進めています。
本校の道草教育は、主体性を伸ばす場を数多く提供し、実行力、思考力、創造力、公共性といった非認知能力を存分に育んでいます。偏差値で競う認知能力は重要なものです。ところが、注目すべきは、実行力に代表される非認知能力が十分に備わると、認知能力そのものがいっそう向上することです。高学歴は、認知能力の訓練だけで手に入れられますが、実行力や創造力は小学生時代のリアリティ豊かな体験による脳の発達が不可欠です。社会で活躍する人たちは、実行力などの非認知能力に長けていることが多く、そうした人たちは小学生時代の経験が生きているわけです。なお、非認知能力の中には道徳や模範意識も含まれますので、道草教育は徳育にも通じるものです。
本校では、見せかけの偉さよりも社会を担う実力者の養成を念頭においた教育を進めています。「えらい人になるよりも、よい人間になりたいな」という校歌に含まれるメッセージは、そのことを問いかけています。今後とも本校の教育を経た卒業生が率先して豊かな社会をつくり上げていくことを期待しています。

学校法人同志社 総長
八田 英二

2025年に150周年を迎える同志社の基点である同志社英学校は、明治8年に校素心等も校祖新島襄の自宅で、8名の生徒と2名の教師のみでスタートしました。新島のよき協力者であった宣教師ディヴィスは「あの朝開校に先立って新島が涙の中で捧げた、誠実にして懇篤なる祈りを私は終生忘れることはできない。すべての者が心から祈った」と記しています。幼稚園から大学に至るまで、すべての同志社諸学校の教育事業には新島が追求した良心教育が息づいています。同志社の掲げる教育理念である「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」をもとに、新島の夢みた初等教育を実現するために、2006年、同志社中学校・高等学校に隣接する岩倉の地にて同志社小学校は産声をあげました。
小学校教育の根幹には「良心を手腕に生かす人物の育成」という建学の精神があるのは勿論です。校歌にあるとおり、「偉い人になるよりも良い人間になりたいな」に込められた「人を思いやる心」を小学校は大切にしています。
「人ひとりは大切なり」と新島は常に語りかけました。他者への思いやりの心に充たされ、常に弱者に寄り添い、未来に向かい挑戦する心を備えた人物こそが同志社が育成を目指し、また新島がこよなく愛した同志社人です。

同志社大学 学長
小原 克博

小学校での学びや人間関係は、後の人生におけるさらなる成長の基盤となります。自分の頭で考え、判断し、行動することのできる「自治自立の精神」や、他者に対する関心や気遣いといった利他的精神は、自分自身の人生を切り拓き、これからの社会を担っていく上で欠くことができません。こうした心のあり方を日々の生活の中で育んでいくことのできる環境が同志社小学校にはあります。
同志社の設立者・新島襄は、自由を大切にし、自らも自由人として生きた人物です。しかし、その自由は、わがままな自己主張ではありません。自らを省みる視点(良心や真理)を内に秘め、他者へと手を差し伸べることのできる自由です。
同志社は、このように新島によって示された未完の課題とも言える壮大な人間教育に挑戦し続けてきました。同志社小学校はそのフロントランナーと言えるでしょう。同志社小学校に連なるお一人おひとりの成長を教職員一同、見守っています。