同志社小学校 DOSHISHA ELEMENTARY SCHOOL

学校紹介 Introduction

学校施設

同志社小学校校舎

風光明媚な岩倉の風景に溶け込むような、安定感のある2階建ての低層校舎。その設計コンセプトは「ワンルームスクール」です。校舎内部に全体の3分の1の面積に相当する広大な自由空間が配置され、教室、オープンスペース(自由空間)、チャペルコート(中庭)、屋上などを取り込んで、校舎内部は一つの巨大な空間になっています。広々とした自由空間は、子どもたち同士が自然な形でふれ合える場。「あそび」や「無駄」の空間が随所に散りばめられ、隠れ家のようなデンと呼ばれる空間が配されるなど、子どもたちの創造性をかきたて、夢がいっぱいに広がるような、温かい工夫がなされています。

  • アリーナ
  • 給食室
  • エントランス
  • 図書室
  • チャペルコート
  • デン
  • オープンスペース
  • 校務センター
  • 第1音楽室
  • 1年教室
  • 家庭科室 (ランチルーム)
  • 理科室
  • チャペル
  • 屋上
  • 和室
  • 図工室
  • 1Fのフロアマップを見る
  • 2Fのフロアマップを見る

吉峰館(屋内運動施設)

体育などの授業で使用するアリーナと世界的にも珍しい動物の標本を保存している標本室があります。

標本館
吉峰館(屋内運動施設)
吉峰館(屋内運動施設)

遺構ピット(発掘された遺跡について)

同志社小学校と3世紀の集落跡

同志社小学校の北に隣接した京都市左京区岩倉忠在地町では、1970年代以来の小規模な発掘調査で弥生時代後期末~古墳時代初頭の土器がみつかっていて、その一帯は「岩倉忠在地遺跡」と名づけられてきました。2004年秋に小学校建設に先立って同志社大学が試掘調査を行ったところ、やはり少数ですが古墳時代初頭の土器がみつかったので、本格的な工事の前に発掘調査を行いました。

調査をすすめると、弥生時代後期末~古墳時代初頭(3世紀前半)と考えられる、方形の竪穴住居8棟や約300もの柱穴群などがみつかりました。遺跡全体は江戸時代の耕作によって削られていて、はっきりと竪穴住居の形がわかるものはわずかでした。ただ、住居を支えていた柱の跡が調査区の広い範囲でみつかっていることから、これらの集落跡は、従来の岩倉忠在地遺跡の一部だとわかったのです。

竪穴住居の中には、床面に粘土の塊が置かれた状態のものがありました。おそらく土器・土製品の製作などの目的で住居内に粘土を蓄えていた跡でしょう。その周囲の調査区東半部では、いくつもの土坑や溝から同じような白い粘土の塊が出土しています。焼き物作りにかかわる作業が盛んに行われていた場所があったようです。
また、調査区の南西部で見つかった竪穴住居の内側には、木材や土が焼けたものが多く詰まっていました。屋根などの部分が火事などで焼け落ちて住居が埋まった跡のようです。焼けた土が屋根の木材の上に貼りついた状態が観察できました。このことから、この住居は木材や茅葺・草葺などの上に粘土をぬった「土葺屋根」だったとも考えられます。

さらに、住居域の北部に、長さ1.2~1.5m・幅0.7~0.8mの大きさの穴が10基検出されました。形や埋まり方などから土坑墓とよばれる素掘りのお墓だったと考えられます。
この集落ができたころには、地域内の「王」を葬るための古墳がいろいろなところでつくられ始めたと言われています。このころの古墳は岩倉やまわりの京都盆地ではみつかっていません。また、発掘調査からは、岩倉忠在地遺跡の人たちが、集落のとなりに自分たちの小さな墓をつくっていたことがわかります。岩倉には、「王」がまだいなかったのでしょうか?それとも、この集落では普通の人々のためのお墓をいくつもつくる別の理由があったのでしょうか。

土器作りや墓のありかたなどの遺跡の様子は、1700~1800年前の人々の暮らしを知る手がかりとなります。

〔同志社大学歴史資料館〕

遺構ピット
遺構ピット
竪穴住居や様々な遺構
竪穴住居や様々な遺構
お墓と思われる穴
お墓と思われる穴
集落横の谷からはたくさんの土器
集落横の谷からはたくさんの土器

ページトップへ戻る