同志社小学校 DOSHISHA ELEMENTARY SCHOOL

学校紹介 Introduction

同志社ゆかりの人々

同志社小学校のクラス名は
新島と同志社にゆかりの深い3名の人物にちなんでいます。

J. D. Davis(ジェローム・ディーン・デイヴィス)

(1838~1910)

アメリカン・ボードの宣教師。新島のキリスト教主義学校の設立に賛同し、同志社英学校開校時には新島と2人きりで教員を務めました。1877年には同志社女学校(現同志社女子大学)を設立しました。京田辺校地の「デイヴィス記念館」に名前が残されています。

Davis ジェローム・ディーン・デイヴィス(1838 ?1910)

A. Hardy(アルフィーアス・ハーディー)

(1815~1887)

新島が渡米する時に乗船したワイルド・ローバー号の船主。苦難の末アメリカにたどり着いた新島の脱国理由書を読んで感動し、物心両面にわたって惜しみない支援を与えました。新島がアメリカの父として慕った人物です。今出川校地の寒梅館「ハーディーホール」に名前が残されています。

Hardy アルフィーアス・ハーディー(1815 ?1887)

D. W. Learned(ドウェイト・ウィットニー・ラーネッド)

(1848~1943)

アメリカン・ボードの宣教師であり、経済学者、神学者。同志社大学第2代学長。半世紀にわたり、同志社で教鞭をとりました。京田辺校地の「ラーネッド記念図書館」に名前が残され、彼が愛した言葉"Learn to Live and Live to Learn"が建物に刻まれています。

Learned ドウェイト・ウィットニー・ラーネッド(1848 ?1943)

新島 八重

(1845~1932)

1875年10月に新島襄と婚約し、翌年1月3日に結婚しました。京都初の日本人同士のキリスト教式の結婚式でした。欧米流の生活スタイルが身に付いていた襄と、男勝りの性格だった八重は似合いの夫婦でした。新島襄はアメリカの養母であるSusan W.Hardy夫人への手紙で「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。」と書き送っています。夫の死後、篤志看護婦となって、特に日清戦争、日露戦争では傷病兵の看護にあたりました。2013年度のNHK大河ドラマでは、主人公に選ばれました。

新島 八重

山本 覚馬

(1828~1892)

会津藩士、砲術家。明治維新後は、京都府顧問として主に殖産興業に貢献。新島襄の同志社英学校設立計画を知り、旧薩摩藩邸の敷地を学校用地として新島に安価で譲渡しました。新島襄が永眠した後は、同志社臨時社長を務め、同志社の発展に尽力しました。新島八重の兄にあたります。

山本 覚馬

徳富 蘇峰

(1863~1957)

生涯の師とあおぐ新島襄から洗礼をうけ、キリスト教徒となりました。同志社大学設立のための募金運動に尽力するとともに、新島襄の意を体して大学設立の趣意書を記しました。新島襄がなくなる際には、一切の遺言を蘇峰が筆記しました。なお、小学校の校庭には、徳富記念館(徳富旧邸)より株分けされたカタルパ(新島襄がアメリカから持ち帰ったもの)が植えられています。

徳富 蘇峰

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